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vol.66■被災地の保存
  災害の被害跡地を保存する意味は、ただ単に、災害を記念するというだけではない。数回にわたって、かつての大規模災害と、その被災地の今を見ることを通して、災害に向き合うということの意味を問い直したいと考える。
■ 三宅島阿古地区の今
 
2000年の噴火はまだ収束しているわけではない。避難解除になり、島民は島に戻りかつての生活を取り戻すために歩みを始めたところである。SO2ガスの人体に対する大きな影響をいかに排除しつつ、火山と人間がいかにして共存できるのかを探る戦いが始まったばかりである。そこで非常に気になるのが、前回の噴火1983年(昭和58年)の被災地(場所)の保存と、その現状である。

前回の噴火では大量の溶岩が山腹から流出した。その量は溶岩流5m〜7m×10の6乗m (国土地理院の測定)といわれている。中でも阿古地区では溶岩流が民家を飲み込み、海岸近くにある阿古小学校の校舎がいわば「防波堤」の役割を果たしてその付近で止まった。

現在阿古小学校跡地は、当時の溶岩流の状況をそのままに残して放置されている。立ち入り禁止の看板と、柵をめぐらせてあるだけである。立ち入り禁止を無視して中に入る人も後を絶たない。もちろん旧小学校の跡地に入っても足元が悪い程度で、取り立てて危険ということもない。2000年噴火以降のガス濃度が高い地域でもない。

旧阿古小学校跡地にたってまず思うのは、莫大な溶岩の圧倒的な量である。雄山から流れ下った様子が手にとるように見ることができる。その中で、旧小学校はあまりにも小さな存在である。

 


「もうがんばれない。SOS」の文字が痛々しい三宅島三池地区の民家。「頑張り」にも限度がある。2000年噴火はまだ終わってはいないのだ


旧阿古小学校内部。雄山側から流れ込み窓をぶち破って校舎内に流れ込んだところで止まった


手前の白い部分は阿古小学校の屋上。間一髪で溶岩流がせき止められているのが見て取れる


手前の白い部分は阿古小学校の屋上。間一髪で溶岩流がせき止められているのが見て 取れる。

 

 
■ 保全と後世に伝える役割
三宅島は1983年に続いて2000年にも噴火した。おおむね20年前後で噴火活動を繰り返してきた火山である。定期的に噴火活動を繰り返す三宅島ではあるが、噴火のたびに多くの被害を出してきたにもかかわらず、その経験が生かされてきているかというと、それは大きな疑問である。雲仙普賢岳、有珠山の被災地の保全と後に続く世代への伝承を目的とした取り組みに比べると、荒れるに任せている三宅島阿古地区と阿古小学校跡地はなんとも無残である。

噴火災害の第一級の学問的価値もさることながら、噴火災害から見事に立ち直った人々の戦いの歴史を、後世に伝える必要があるように思う。中でも阿古小学校跡地は、単に立ち入り禁止区域にするだけでなく、噴火災害を間近に見て学ぶための博物館にするなどの取り組みが求められよう。今のままでは、あまりにももったいないばかりではなく、次の災害に対する備えや、災害は明日はわが身に降りかかるのだという当たり前の事実を三宅島を訪れる人々に伝える非常にすばらしい記念碑にもなりうるだろう。(ジャーナリスト 冨田きよむ、文・写真も)

   
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