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三宅島・雄山の噴火で火砕流の被害にあった神着地区にあるペンション、SNAPPERSを (スナッパース)ご主人と経営されている、みゃること野田理恵(のだりえ)さん。 ペンションが火砕流に直撃されるという予期せぬ災害にあって、その状況を冷静に インターネットで発信し続けたみゃるさんに、雄山での出来事を綴っていただきます。
   

41 みんなで一緒にいれば。

   パンを食べたあと、女衆だけの輪になった。膝をかかえて、ポツリポツリ、話し始める。
「いつまで、こうなんだろうね・・・。」
「うん、子供達も出ていっちゃったし。」
「・・・全島避難、したくないよね。」
「うん、ヤダよ、絶対にしたくない。」
「!」
私は、この言葉に、目が覚める思いがした。
これまで、インターネット上のやりとりの雰囲気から、なんとなく黙らされていた、本当の気持ち。島の中では、それぞれ相手に事情があることがわかっているから、話題に出せなかった言葉。
「全島避難なんて、絶対に嫌だ。」
「そうだよ、だって、これから、ようやくがんばれるんじゃん。」
そう言ったのは、小さな子供達を送り出した、若いお母さん。
そうだ。そうなのだ、これから、ようやくがんばれるのだ。自分達だけになって、抱えているものがなくなった今こそ、ようやく、全力投球できるようになったのだ。
愛する者を島外へ送り出すという、身を引き裂かれる思いをしたのだ。叫び狂いそうな選択をしたのだ。また、この島で生きていくために。島外に出した、最愛の者達を、安全で快適なここに呼び寄せるために、私達は三宅で生活を続ける事を選んだのだから。
「そうだよ、がんばろう。」
「観光客とかは、ちょっと無理だけど、この先は、作業員が入るから一生懸命働いて、埋め合わせしないとね。」
「前の噴火の時は、ほんと、毎日寝ないで働いたよ。それで、設備を直したりしたんだ。」「一夏ダメになっちゃったから、もう、そりゃ、相当がんばらなくちゃね。」
「寝ていられるのも、今の内って事かな。」
なんて心強い。同じ気持ちの人がそばにいることを知ると、こんなにも勇気がわく。

 夕飯の準備が始まるというので、役に立つかどうかわからないものの、喫茶店のある場所に行ってみる。これまでの避難でも、食事作りはあったのだが、私は手伝うどころか、
作っている場所にさえ、どういう訳かいなかった。とんでもないことだ。
が、取り仕切る女性軍の数が多ければ、手順や息の合わない私が乱入しない方がいい場合もある。みんな地域の活動で、炊き出しは、普段からやっていること。それぞれ役割も、あらかた決まっている。そこに、順番を無視して立ち入るのは、ちょっと勇気がいることだ。

 今日の夕飯は、アルファ米らしい。これまで、何度か、昼ご飯として避難所で配られた、透明のパックに入っている五目ご飯だ。
と思ったが、勤福に搬入された箱は、品目がバラバラで、今回五目ご飯は、食数が足りなかった。白飯というのは十分あるが、おかずになる物が何もなかった。もう、だいぶ前の避難の時、五目ご飯の上に特上の梅干しがのっていたことがあったけれど、白いご飯しかなくなった、こんな日が来るのだったら、とっておいただろうに。
あとから搬入された箱には「ワカメご飯」と書いてあった。5箱で250食。職務で外に出ていない、現在避難所にいる人数だけならば、なんとかぎりぎり間に合う。これが今日の夕飯となった。

 手分けして、作る。私も混ぜてもらえた。
1箱に、けっこうな量のお湯が必要になる。ガス台があまりないため、勤福のあちこちで湯を沸かすことになる。2階の湯沸かし室から、大きなやかんで湯を運ぶ。危ない作業だ。でも、階下から声を掛け合ったりして、これはこれで、本当はちょっぴり楽しかったりする。アルファ米の箱には、配食をするまでの全部が入っていて、袋を切るカッターまで入っている。ただ、箱自体が小さいので、たくさんの人間で手早くやるということは、むずかしい。しかも、お湯が途中で切れてしまったりすると、大ピンチになる。
一応、水でも作れるらしいから、多少冷めても大丈夫なのかもしれないが。ご飯を作ってからワカメを混ぜるのではなく、細かい砂利のような米に湯を注ぐ段階で一緒にワカメも投入してしまう。ちょっと意外だった。
お湯を入れて重くなった箱は、数人混じっていた男の人が配膳に便利な机に運んでくれた。待つこと20分、中に1つ、お湯を入れた時間を書き忘れてしまった箱を発見。
「まいったねー。」なんていいながら、その箱は、怪しいので、一番後回しにすることになった。できあがった箱は、次々に開けて、パック詰めをする。
セットされているしゃもじが、今流行のご飯がくっつかないしゃもじだったのにはびっくり。小技が効いている。私は、普段の弁当づくりで慣れていると思ったが、弁当を作っていたのは、もう2ヶ月も前の話。他の人と大差がない。

 ワカメご飯を、それぞれの地区ごとに配り、数が足りていることを確認し、ご飯づくり部隊は解散になった。私も、戻って、そのご飯を食べた。
「なんだこれ。」おどろいた。味がない。ワカメはちゃんと入っているけれど、味がないのだ。五目ご飯が、比較的、いや、けっこう美味しかったから、それと同じだと思っていた。さほど、動いてもいず、極度の空腹でもない中で、これを食べるのは、かなり苦痛だった。全部は食べきれなかった。
まいった。漬け物だったら、家に2kg入りの袋が5袋も6袋もあるのに。

 夜は、避難カーに戻った。それぞれ、仕事などの人が戻ってきたら、毛布を縦折りにして横になるスペースさえ、足りないことがわかった。
まだまだ、こんなにたくさんの人が残ってがんばっている。がんばれる人が残っているとも言える。どちらにしても、心強い。

 避難カーには、暇つぶしの道具がたくさん用意してあるが、なぜか、すぐに眠くなってしまう。灯りに使う電池も、もったいないし、ぴよ吉もいるので、とっとと寝てしまうことにする。

 翌朝は、別段早く目が覚めるということもなかった。
明るかろうが、少々うるさかろうが、周りに他人がいようが、眠れるようになってしまった。とりあえず、周りの景色は、特に変わっていなかった。

 ぴよ吉を光に当ててみる。車の窓越しだけど・・・。
お日様に宛てたら、少しでも早く羽根が伸びるんじゃないかと願いながら。

 お昼が近くなった頃、避難一時解除といわれ、それぞれ家に戻ることになった。家に戻ってやることといえば、やはり入浴。1時頃までに戻らなくてはならないので、食事もしなくてはならないが、とりあえず、風呂が先だ。

 今回は停電がないので、心配事がない。冷蔵庫が生きているというのはありがたいことだ。しかも、1日半の停電だったが、冷凍庫やストッカーに入れて凍らせておいた、水入りペットボトルの成果で、溶けてしまってダメにした物はなかった。

 こんな風に避難が一時的に解除になって、また集合っていうことは、たぶん、もうひとつ雨雲をやり過ごしたら、帰ってこられるということなのかもしれない。もしかしたら、お昼ご飯分の食事の問題かもしれないけれど・・・。
とりあえず、ふりかけや、業務用の漬け物など、少しは役に立ちそうな物をありったけ車につむ。梅干しだったら、10kg入りの箱が6箱あるんだけど・・・。避難所に残っていたアルファ米は、もう、白飯しかないのだ。
このままダメにしてしまう漬け物類で、おいしく1食食べられるのならば、それに越したことはない。

 集合時刻に避難所に着くと、部屋はガラーンとしていた。
昨日走っていた、子供が同じ部屋にいて、マットの上で遊んでいた。そこで、驚く話を聞く。
「小さな子供がいる家って、大変だよね。」
「家の子、1年生になっていて良かったよ。」
そうか、気がつかなかったけれど、小学校に上がる前の乳幼児は、当然、秋川に行ったわけがない。では、なぜ、子供の姿が見えないのだろう。
「たいてい、もうだいぶ前に島を出ているよ、東京の親類頼って。」
「でも、世話になれる家がないところは、大変だよ。ウイークリーマンション使ってるって話も聞いた。」
「えー、そこまでするんだ・・・。そうだよねぇ。」

 なんて皮肉なことだろう。私は、自分の猫達が、人間の子供だったら、安全が確保されるのにと、うらやんでいたけれど、命として優遇されるのは、万が一の時の、島を脱出する瞬間だけで、島を出た後は恐ろしいほどの困難があった。ペットは、獣医やペットホテルに預けることが比較的簡単だが、乳幼児は預けること自体が不可能に近い。必ず、保護者が一緒にいなければならない。ペットだけを預かることができる家よりも、保護者と一緒ではない子供だけを預かることができる家は、格段に少ない。
 そんな厳しい状況なのに、子供の姿が、すっかり見えなくなってしまっているというのは、若い父母と子供達が、安全を求めて東京に出ているということなのだろう。なんの手当も補助もなく、なんの優遇措置もなく、である。

 しばらくして、勤福の中のどこかをほっつき歩いていた夫が、もどってきて「夕方のニュース番組に出ることになった。」と言った。「いつの?」と聞くと、「今日の。」と答え、携帯でどこかに電話をかけている様子。
たぶん実家。でも、今日の、というのは、どういうことなのかなぁ?と思っていたら、どうするのかわからないけれど、生放送らしい。
 三宅島生中継?と思ったが、よく考えてみたら、生放送って、今までのニュースで、さんざんやっているか。勤福の中でやるようなので、どこが、どうなるのかわからないけれど、ちょっと楽しみ。それにしても、どうして夫が生出演することになったんだろう。
聞こうと思ったら、もういなかった。

 車に戻って、ぴよ吉のえさにする虫を探したり、ぴよ吉をからかったりしてしばらく時間を潰し、日が傾いてきた頃、建物に戻った。
すると、「ちょっとどこ行ってたの、ほら、旦那がテレビに出るってよ。」と呼ばれた。夫はテレビのスタッフの人達らしき人に囲まれて、喫茶店のなかの1つのテーブルいた。何をやっているのか、何を言うつもりかわからないが、眺めている分には楽しい。でも、肝心のテレビが、そばにないんだよなぁ。
生中継されている姿と、実際テレビに映っている姿と、両方一度に見られたら、おもしろうだろうになぁ。

 ところが、テレビがまだ始まる前に、17時避難解除と、放送が入った。
あれれ、いったい、どうなっちゃうんだろう。たしか、撮影と放送は17時からじゃないのか?じゃ、夫1人が、居残りであそこでやってるのか。ご苦労さん。
撮影で、何をするのか、気にはなったが、避難解除といわれたら、連絡も聞かなきゃならないし、掃除や後かたづけがあるから、割り当ての部屋に戻ることにした。

 今回の避難中、お掃除は、島下のあすなろさんがこまめにやっていてくれた。
だからトイレがいつもきれいだったのか。自分達がいた場所の撤収と掃除は、モップをかけたり、毛布を箱に入れて運んだり。でも、ほとんどの掃除を、あすなろさんがやってくれることになった。動けない人がいるわけではないが、若干高齢者の割合が増えているせいなのかもしれない。みんなで、お礼を言って、解散になる。
しばらく、ウロウロして時間を潰していたら、夫も、戻ってきた。結局、なんだったのか、よくわからなかったのは残念。

 帰る前に、立ち話をしたりしていたので、勤福を出るときには、もうだいぶ駐車場の車も減っていた。一時のような、避難所渋滞も、みんな慣れたせいか、なくなった。

 島では、珍しい、まるで、東京育ちの私が、子供の頃によく見ていたような、夕焼けの空が広がっていた。夕日に向かって行くので、手元までがオレンジの光を浴びる。最近、こんな夕焼けが見られる事が多い。
明日も晴れるのだろう。
 
   
(野田理恵)
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