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三宅島・雄山の噴火で火砕流の被害にあった神着地区にあるペンション、SNAPPERSを (スナッパース)ご主人と経営されている、みゃること野田理恵(のだりえ)さん。 ペンションが火砕流に直撃されるという予期せぬ災害にあって、その状況を冷静に インターネットで発信し続けたみゃるさんに、雄山での出来事を綴っていただきます。
   

38 ああ、避難所へ行ける!

  夜、早く寝てしまったので、朝も早く目が覚めた。
夜中、何かあっても気がつくように、雨戸を一枚開けておいたので、明るくて寝ていられなかったというのもある。
それに、ここのところ、毎日、寝てばっかりなので、もういい加減、睡眠が飽和状態。

起き出して、おそるおそる、鳥の箱のあるフロアに行く。
と思ったが、厨房からフロアに入ろうとしたら、鳥の箱が、ゴトゴトバタバタ音を立てていた。はぁ、良かった。お守りの富賀様のお札は、床に落ちていた。
バチあたりな。
鳥は、まだあまり動けないのに、バランスが悪いまま、軸だけの翼で羽ばたいたり、箱の内法をつついたりしていた。
羽毛さえ生えてくれば、放せる日はすぐかもしれない。
猫もイタチもいなくなってしまったようだから、飛ぶのが多少下手でも、なんとかなるだろう。

玄関に向かい、モルタルがこびり付いたように灰がついてしまって、重く、硬くなった長靴を履いた。
灰の固まりをかんで、壊れそうな音を立てる玄関のサッシの扉を開け、外に出た。雨が近いのだろうか。曇っている。昨日とは打って変わって、暗い景色。空よりも暗い灰色の地面。

そのまま、村道を、昨日とは逆の観光ホテル側に進んでいった。
木が幹から折れて倒れていたり、電柱が倒れたり、ということはなかったが、歩きいい状態ではない。昨日の夜来てくれた東電の人は、ケガをしなかっただろうか。こんな中を、暗い夜に歩いてきてくれたとは。
途中まででてくると、灰の上に、いくつか足跡があった。
ここまで、何人かの人が、入ってきたのだろう。

そのまま歩いて都道が見えるところまで来られた。
ここまでなら、灰が完全に固まっていて、サンダルでもなんとか大丈夫かもしれない。長靴は、底が石化してしまって重い。

完全に都道を見渡せる所まで出て、愕然とした。
自分の家の庭と同じ、荒涼とした景色が、見渡す限り続いていた。
様子は自分の家と同じでも、都道は、島の動脈と同じだから、ショックだった。盲腸のような我が家とは深刻度が違う。
都道は除灰作業が進んでいる。でも、脇に、私の背丈ほどもありそうな灰の山ができている。それもいくつも。鳥もいない。車も通らない。

違う世界を見ているようで、それでも、心のどこかではわかっているような、そんな気持ちでもう一度見渡すと、バロンさんの庭で、ご夫婦そろって、灰取りをしている姿が見えた。
こんな朝早くから。ここから見ていると、黙々と。
バロンさんが造った土嚢の山の、てっぺんにたった旗もなくなってしまった。
元気者で、働き者のご夫婦のこと、きっと、シャキシャキと灰取りをしていたのだと思うが、周りの圧倒的な荒涼とした風景の一部分として見てしまった私には、あまりのことに涙が出てしまった。
都道を渡って、声をかけてあいさつをすべきだと思ったけれど、周りの風景が、寂しく凍えるように冷たくて、全てが死に絶えてしまったようで、そんな中で、2人だけが淡々と動いていること、それが、何かに対しての静かな抵抗のような、戦いのような、そんな風に見えてしまって、どうしても声をかけることができなかった。近くに行くこともできなかった。

「ママはがんばっている・・・。私は・・・。」
Uターンして帰り道、思った。がんばれるという気持ちと、この状態での灰取りなんかできないという気持ちと、じゃあ、何をがんばれるのか?という気持ちが、ごちゃ混ぜになる。

自分がつけたものではない、足跡の数が、進むにつれてどんどん少なくなる。足跡は、どれも、きれいに繋がってはいない。
道幅いっぱいに、できるだけ足場の良いところを探したのだろう、とびとびについている。
その足跡を、よく探しても、見つけられなくなったとき、我が家が孤立していることを思い知った。

距離にすれば僅かでも、誰かが付けた足跡を追うことは、小さな喜びだった。
それは、誰かが、我が家を心配してつけてくれたものだと思うから。

途中の小さな谷に架かる橋の上で、山の方を見上げた。
本当だったら、鬱蒼とした木々しか見えないのに、ずっと背が低くなった木々はグレーの壁のように見えた。
木が低くなった分、都道沿いの景色が見えるようになっている。
泥流が出たら、この小さな溝のような谷は危ないというけれど、ここに泥流が出てしまったら、家はおしまいだな。
山側に、たわわに実っていたハヤトウリも、蔓ごとなくなっていた。
これは、灰のせいではなくて、季節のせいかもしれない。

東京にいた頃、通学や通勤のいつも通る道で、突然更地になったりすると、そこに何があったのか、なかなか思い出せないことがあるけれど、それと同じ事なんだろうか。こうなってしまって初めて、家の周りの景色さえ、ちゃんと見ていなかったことがわかった。周りどころか、庭にできた、
小さな山でさえ、それが、何に灰が積もってできたふくらみなのか、わからない。
自分が育てていた木だったり、花だったりするはずなのに。

家につくと、夫も起き出していた。何をしているのかわからないが、庭をウロウロしていた。

ほとんど、「腐る前に食べてしまおう」という義務感のようなもので、朝食にする。島は、当たり前だけどガスがプロパンなので、ガス台だけは使える。いよいよとなっても、みそ汁だけは熱いものが食べられることは、精神的にはよいのだろう。

今年の初め、いや、この家を建てた5年前からが正しいのだが「そろそろ、自家発電機を買おう。」と決めていたのに。
自家発電機という物が、実際どんな風に使えるのか、ピンとこないままだったので、買えないでいた。
自家発電機があったら、お風呂に入れたのだろうか。
テレビぐらいは、見ることができたのだろうか。

どうも、はっきりはわからないが、これから天気が悪くなるらしく、避難の号令がかかりそう。なんとなく、追いつめられてくる。
時間と空気が固形化して滞って動かなくなったような気がする。

村の防災無線が入る。「各地区ごとに、防塵マスクと土嚢、ヘルメットを配るので指定の場所まで取りに来てください。」と。
家は、取りに行けないなぁ・・・。

こういう状態を気力負けというのだろうか。
私は何もする気になれなかった。
主人は、水で灰を落とそうとしていたが、7月の降灰とずいぶん違い、水で落ちなかった。溜まった水が、灰を余計に粘らし、返ってあちこちを汚すことになったり、足元を悪くして歩けなくなる場所を広げることになったりした。

遠くで聞こえていた重機の音が、なんとなく近くに聞こえたような気がした。
が、それはやはり聞き違いだったのか、30分過ぎても、家のそばには何も起こらなかった。ところが、突然、ものすごい音が聞こえて、その音が、近くとても鋭くて、「あれ?」と思ったら、小さなユンボと、数人の男の人達が家の前にいた。主人が、まるで、何年も人に会っていなかったかのような喜びようで、「通れるようになる!」と言いに来た。
それだけ言うと、パッと、また庭に戻って行ってしまった。
夫は、普段、あまり話をしない人なのに、もううれしくて仕方ないといった感じで、除灰作業に来てくれた人のそばにぴったりくっついて話をしていた。

家の前の、傾いた電柱のあたりまで、車が通れるように灰をよけてもらえた。そして、庭の中の避難カーまでを、車が村道まで出られるようにかいてもらえた。
これで、避難所に行ける。避難所に行けるようになったんだ。

それでも、除灰は、簡単にはいかなかった。小さな重機は時折、壊れそうな悲鳴を上げた。灰が固すぎ、重すぎるのだろうか。
車が通れるようになるまで、1時間ほどもかかった。
よけられた灰は、私の身長よりも高く積み上げられた。

さあ、避難所に行く準備をしよう、うれしくて、体が軽くなったときに、不意に、部屋の電気がパッとつきテレビが大きな音で昼のニュースをしゃべり始めた。停電も解消されたのだ!
私はすぐに風呂のスイッチを入れにいった。
電気が来た途端、電話が鳴り続けた。本当はその前から鳴っていたのに、聞こえなかったものもあった。突然にぎやかになった。

15分後、私は風呂の中で、避難の放送を聞いた。
風呂にさえ入ってしまえばこっちのもんだ。
泥流の危険での避難のようだ。ということは、雨か・・・。
上がって急いで支度をしよう。
 
 
(野田理恵)
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