三宅島・雄山の噴火で火砕流の被害にあった神着地区にあるペンション、SNAPPERSを (スナッパース)ご主人と経営されている、みゃること
野田理恵
(のだりえ)さん。 ペンションが火砕流に直撃されるという予期せぬ災害にあって、その状況を冷静に インターネットで発信し続けたみゃるさんに、雄山での出来事を綴っていただきます。
35-2 長い一日は続く
美茂へたり込んだまま、風化した有刺鉄線のように、瑞々しさをなくし、醜く姿を変えた木の枝、それでできた檻の向こうの空を見上げた。
何があっても、どんなことがあっても、私は、三宅で生きていく。
だけど、だれか、ここで、起きたことを、見慣れた風景が、こんな風に変わってしまうことを、何年もかけて枝を張った木々が、こんな風に折れてしまうことを、私の周りの、小さいけれど色とりどりのすばらしい世界が、灰と泥に塗り固められて灰色一色になってしまったことを、虫や鳥、小さな生き物達が、いなくなってしまったことを、たった数時間で、本当に、たった数時間で、こんな事が起きることを、だれか、うけとめて。
石の枝でできた編み目の外の空に、ヘリコプターが飛んでいる。
そこから、何かが見えますか。ここがわかりますか。
そんな遠いところからじゃ、何も見えないでしょう。
何を見ているんですか。
今、ここって、どうなっているんですか?
今朝起きたことは、なんだったんですか?
今までと同じ、予想の範囲の噴火で、いつも通りの降灰、なんですよね。
子供達は、もう乗船したんですか?
ヘリコプターは、ここよりも、もっと重要な何かに近づこうとしているのだろう。
視線というと変だが、こっちを気に留めている様子はない。
はっきり、違う方向を目指している。
そうだ。あのヘリコプターは、昨日までの私と一緒だ。
災害は、いつでも、空から見るもの。被害のすごさは空中映像で報道されるもの。地上の一部分よりも、鳥瞰して被災地全部を見た方が、理解できたと思っていた。
災害は、地形が変わるから、見た目が変わるから、ではないのに。
人の生活が壊れるから災害なのに。
自分の生活が、風景が、ここまで壊れなければ、私自身わからなかった。
災害の大きさは、空撮映像が、一番雄弁に、全て語れるのだと思っていた。
私の周りの風景が、死の世界になっても、世の中にはなんの関係もない。
なんの関係もないのだ。それどころか、知られることもないだろう。
昨日までの自分から立場が変わっただけ。
そう、これまで、この辺りは、7月の一番はじめの時以来、他に比べて、ほとんど降灰がなかったから、気がつかなかっただけ。
みんな、ひどい目にあっている。不公平にならなくて良かったんだ。
そう。何も変わらない。何があっても、何が起きても、何を見ても、何も変わらない。自分がどうするか、ただそれだけ。
濡れた灰の湿り気を、すっかり尻のあたりが吸ってしまった。
立ち上がって、周りを探した。「あれ」は見あたらない。
戻って探そうとしたけれど、どうやってここの地点に来たのかがわからない。
今見返すと、いくつも木が倒れたりしていて、通れそうなところも、
何カ所かある。広いところを探したけれど、見つけられなかった。
自分は、イタチの亡骸だということを知ったのに、投げ捨てたんだろうか。
ピンクの口元に、生き物だった時の美しさを見たのに、放り投げてしまったんだろうか。
敬意をはらって、どこかに置いたと思いたかったけれど、そんな記憶はどうしても出てこない。
泣きたくなるほどの自己嫌悪におそわれた。
(野田理恵)