|
30分ほどだろうか、うたた寝をしてしまった。
しっかりよだれを垂らして・・・。あーー、お客さん用の座布団。
カバーはいで洗わなきゃ。余計な仕事を増やしてしまった。
ふと外を見ると、明るくなっていた。
非常灯は、もう消える寸前、ついているかどうかが、わからないほどになった。
そうか、噴火の前から夜が明けていたんだから、降灰さえ終われば、明るくなるんだ。ろうそくなんていらなかったじゃないか。
玄関から出てみる。
ここは、いったいどこなんだろうか。
見たこともない世界が、風景が広がっていた。
空が一面、藤色だ。天頂も、山の端も、同じ色。
いや、空気が藤色なのだ。藤色のパラフィン紙を透かして見ているような風景。
朝、ベランダから見たときに庭にあったもの、周りに生えていた低木、ハイビスカス、竹、笹、のびっぱなしの雑草、全部なくなっている。
見渡す限り、銀色に光るなめらかな、なだらかな、てろーーんとした、おうとつになっている。
木の枝や花や草、縁石や花壇、全部消えている。
身の丈より高い、四角いものは、車だろう。
大雪が降った風景に似ている。
全ての物が、降り積もって濡れた灰で、分厚くコーティングされてしまった。
山側の木々も、海側の別棟も、陰影のない同じ色になってしまって、のっぺり平面になったように見える。
サンダルを突っかけたまま、銀色の鏡のような灰の上に踏み出してみる。
藤色の空が広がる方へ、思わず歩き出した。
1歩目で、履いていたサンダルが脱げた。
濡れて光る灰は、上から10cmほどで、その下10cmは、あの、真っ暗闇の中で踏んだ灰と同じ、乾いてバフバフしたままだった。
見た目の美しさに反して、濡れた灰は粘った。
サンダルは、粘る灰と乾いた灰にとられ、積もった灰の下に吸い込まれていってしまった。残ったもう片方の足にも、濡れた灰がサンダルの上にゆっくり流れていく。
体重をかけて踏み込むと、足は乾いた灰まで落ちて、サンダルと足の間に乾いた灰と濡れた灰が入り込む。足を持ち上げると、サンダルは灰の中に残り、裸足だけが戻ってくる。
庭の真ん中まで出た。太陽の光が反射して、銀色のボールの
底にいるような気がする。藤色の空気をかくように手を動かしてみる。
濡れた灰と乾いた灰が二層になっているからなのだろうか。うまく歩けない。
こんなに美しい光景なのに、においだけは、臭い。
さっきまでの息もできないほど臭いのとは違って、そこはかとなく、臭い。
これで、花の香りのようないい匂いがしたら、現世じゃないのだろうけれど。
後ろを振り返り、自分がつけた足跡が、この美しく不思議な風景を壊していることに気がついた。足跡が付いたところだけ、なめらかな積灰が醜く陥没し、めくれ上がり、そこだけ光の反射がなくなって影ができ、大降りした困った現実に戻っていた。
次の瞬間、私は、見える範囲全部に足跡をつけるべく、滅茶苦茶に動き回った。
銀色のボールの底のようなツルツルでピカピカの風景は、私の足跡のでこぼこで、なめらかな光沢を失い、ただのどろどろの地面になった。
綺麗なものを滅茶苦茶に壊す快感なのか、見たこともない知らない世界になってしまった自分の家を、庭を、現実に戻そうとしたのか、わからない。
ただ単に、今までにない、裸足に伝わる灰の感触が、気持ちよかっただけかもしれない。
海側に行ってみると、家の崖から、アメリカの西海岸まで続く海が直接に広がっていた。
スコーンと抜けてしまっていた。崖に生えていた木や草が全部なくなって海の眺めが広大になっていた。今までは、2階からしか見えなかったのに。
ようやく、95年の台風の時に折れてなくなってしまった木々が復活してきていたのに。
鳥の声も、風の音も聞こえない。
そんな、これまでにない静寂を、破る音が聞こえた。
木が折れる音だ。1つ聞こえ始めたら、方々で、こだまのように音が続いた。
庭の木も目の前で折れた。最後に降った大雨が、枝や葉に積もった灰をこびりつかせたのだろう。濡れた灰の重みで、枝が裂けるように折れて落ちた。
家の周り中で音が続いた。時に、振動を伴うほど大きな音もあった。
木の断末魔だ。
夢のような風景を、足跡だらけにして、すっかり現実に戻してしまった頃、どろどろのボロボロになった主人が帰ってきた。
車をいったいどうしたのか、歩きで、ひょろーっと帰ってきたので、はしゃいで足跡をつけているところを見られてしまった。
あちらがあまりに疲れている様子だったので、庭での独り遊びで盛り上がっていた私は、ちょっと気まずく、恥ずかしかった。
すねの半分より上までついた灰を水で流し、部屋に入った。
灰は、なかなかきれいに取れなかった。
最初、足跡だけではなく、自分の人型をつけてみようかと思ったが、やめておいてよかった。妙にこびり付くこの灰を、全身からちゃんと落とすまで水を浴びていたら、いくらこの季節でも風邪をひいてしまう。
主人も私も、着替えて、顔を洗い、お客のいない、いつもの1日が始まった。
いつもと違うのは、停電でテレビが見られないことだけだ。
お客に出す予定だった魚を焼き、みそ汁をつくって、納豆と、他に冷蔵庫に入っている物を並べて、朝ご飯。
この状態では、当分、宿泊予約を取ることはできないから、食べる物は、ちゃっちゃっと、傷む前に食べてしまわなければ。
炊きすぎたご飯もしかり。停電がいつまで続くかわからないので、保温もできない、冷まして冷蔵庫にも入れられないご飯が、一番、アシが早いだろう。昨日もらったイカキムチが実力発揮だ。
朝から、自分で呆れるほど、ご飯が食べられる。
主人は、朝からこれまで、どうしていたのか、話し始めた。
入港する東海汽船に降灰がかかりそうに見えたこと。
入港した後、下船してきた人達は、あまり驚いたりしていなくて、冷静に見えたこと。車で、三池側からは椎取様まで、西側からは鉄砲場までしか進めず、それ以上は近づけなかったこと。
今日、家に来るはずだったお客さん達は、もう一度、椎取様まで連れてきたものの、そこでUターンして、
してきたこと。
車は、すずらんさんの前あたりで、先にに2〜3台立ち往生していて、危なかったので、島下の空き地まで戻って置いてきたこと。
そして、そこから歩いて帰ってきたのだった。
食器を片づけてしまうと、何もやることがなくなった。
主人は、フロアに転がったまま眠っていた。疲れたのだろう。
電気を使わずにできることは、案外少ない。
他がどうなっているかわからないので、せいぜい、水を貯めることぐらい。
それに、玄関のたたきより外に出ることができない。
ぼんやり外を眺めるだけ。日差しはいつものように戻っている。
木の折れる音が、まだ、時折聞こえる。
私も、ウトウトしはじめた時、村内放送が入った。
明日、東京の秋川高校に避難する児童の出発が、1日早まり、今日になったという。船に乗るためのバスが都道を周り子供達を集めるらしい。
繰り返される放送を聞きながら、この辺りが一番降灰がひどい地区で良かったと思った。
主人の話からだと、同じ神着でも、ここが一番ひどいというので。
もしも、今朝の降灰が、別の場所で最もひどく降ったら、都道から離れたところに住む子供が、都道まで出られずにバスにも船にも乗れないかもしれない。
少なくとも、今の我が家の状態では、都道まで出るのは、不可能だ。ここのあたりで、都道からこれほど離れた家で、子供がいる家はなかったと思った。
雄山も結構考えながら噴いてるのかもしれない。
この家ならば、しばらく都道に出られなくとも、かまわない。
子供のいる他の家でなく、我が家がこの状態になって良かった。
でも、親子の別れが、突然1日早まってしまったのか・・・。
「家から出られない」という理由が、のどから出るほど欲しい家庭もあるに違いない。いや、子供は、みんなそう思っているだろう。
子供にとっては、大きな幸運を、我が家は無駄に使ってしまったのかもしれない。
そう考えたら、いたたまれなくなった。
あと、数時間で、島から子供達が出ていく・・・。
自分の家にいるままで、思いを巡らしたところで、なんの役にも立たない。
少しは、考えたんだ、という自己満足でしかない。
どうか、幸せに、楽しく、なんて、祈ることさえ、おこがましい。
自分には子供がいない。辛さがわかるわけがない。
何を思ったところで、自己弁護のきれい事だ。
この島の、期限のきられていない混沌の中で、
親子が別れた生活をはじめるということ。
しかも十分に話し合う時間がないまま、突然1日繰り上げて出発になったこと。
あと1日と思っていた時間が突然なくなってしまったこと。
幸せに楽しく過ごせる訳がない。
どうしてこんな事になってしまったんだろう。
やっぱり、雄山は、何も考えていない。私も、なんの役にも立たない。
|