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三宅島・雄山の噴火で火砕流の被害にあった神着地区にあるペンション、SNAPPERSを (スナッパース)ご主人と経営されている、みゃること野田理恵(のだりえ)さん。 ペンションが火砕流に直撃されるという予期せぬ災害にあって、その状況を冷静に インターネットで発信し続けたみゃるさんに、雄山での出来事を綴っていただきます。
   

31 さあ、立てなおそう。

  「猫達は、まだ人見知りしている。何も食べないよ。」と電話が来た。
詳しく聞くと、全く何も食べていないのではなくて、「猫のえさ」を食べる量が少ないだけのよう。それほど心配はいらないと思った。
もっとよく聞くと、猫えさ以外に、刺身だとか、湯通しした牛肉だとかもらっているらしい・・・。ああ、やっぱり。
今まで食べたこともない美味しい物を食べた後に、カリカリを食べる訳ないじゃないか。

避難カーの猫用スペースの道具類をおろし、ゴムシートをはがし、掃除をして、人用スペースにした。
どちらにしろ、座席があるため、2人分の足を延ばして横になるスペースはとれないのだが。
布団を干したときに、引っかけて皮を破ってしまい、客用には使えなくなってしまった敷き布団を敷き、肌触りのよいシーツをぴっちり敷いて床兼寝床にする。もともと積んでおいたタオルケットに追加して、夏がけをもう1枚積んだ。
スペースが大きく広がった分、機能的になりそうなものだが、布団がちゃんと敷けずに端がめくれ上がっているせいか、ネズミの巣のようだ。

軽トラックの方の倉庫カーからも、猫関係の物を下ろした。
猫のトイレ砂、えさなど。
掃除用のほうきとちりとりは、いらないような気もしたが、積んでおくことにした。

そして、ロングスリーブのTシャツを何枚かと薄手の靴下を3足、これも追加して積んだ。直接東京に行くことになった時のためのカバンには、トレーナーを追加。東京は、どこでも冷房が効きすぎている事もあるが、最初に避難カーを設営したときにくらべて、朝晩が涼しくなっている。
一方で、厚手で大きなウエットティッシュのような汗拭きシートは、必需品だったりする。特別汗をかかなくても、これをたっぷり2枚も使って体を拭くと、さっぱりして気分転換になる。
ちょっとした贅沢だが、それが心の余裕につながる。

車を伊豆方面に走らせて、小型テレビの受信の調整に行く。
妹に小道具をいろいろ送ってもらったので、それを活用することにする。
お盆の避難の時は、ラジオもなかなか入らなかった。
そもそも、ラジオの番組は、三宅の災害のようなスポンサーのつかないものなど、一言も話題にする価値などないのだろう。災害時にラジオなんて大嘘だ。
第一、災害下でなくても、ラジオで天気予報を聞いて、天気図を頭の中に描けないのなら、台風に対する備えなどできない。
情報を役立てられないままになってしまう。
お盆の時、テレビの画像が、どんなに多くの情報を一瞬で伝えていたかを思い知った。
ラジオが日常生活から乖離しつつある現在では、情報取得はやっぱりテレビだと思い知った。

小さなテレビ、というのは、以前、家族の入院の際に使った物。
電源は電池だが、車のシガーライターのプラグにコンセントを差し込んで使う事もできる。
ACアダプターが使えるかどうか確認。避難カーは、家の車の中では新しい方なので大丈夫だとは思うが、他の車だったら、まず間違いなく、電源になるシガーライターは使えない。
私が今乗っている車の1代前の車などは、修理工場の人の苦心の末、「ラジエターのファンを回すスイッチ」が付いていた。
自動的にファンが回らなかったからだ。伊ヶ谷の峠を越えたり、島を一周するくらい乗るときは、水温計を見ながら、表示が高くなったらスイッチオンにする。
すると、ラジエターのファンが回る仕組み。
買い物用の車でさえ、こんな調子だから、海用に使う車など、シガーライターのような余分な機能は使えないと思った方が正しい。

テレビは、どうも思うように映らなかった。
だけど、通電するので、まあいいや。通電が確認できれば、携帯電話の充電もできるだろう。天気予報やニュースの時間に合わせて電波状態のよいところに移動できるのも、車ならではだ。

次の噴火に用意するものや、それまでの生活や、いろいろなことを見直そう。
一生懸命考えなくてはならなかったことが、ひとつなくなった。
いや、私にとっては、ほとんど全てだったことかもしれない。
猫達がいなくなって、猫達のことを考えなくてよくなった。
その分、今までおろそかになっていたことを、ちゃんとやろう。
そう思うけれど、何をしなくてはならないのか、何ができるのか、わからない。
わかっているのは、全島避難はないということ。

全島避難を求める声もあるが、私は、自分が身軽になったために、全員の強制的な避難については、必要かどうかわからない。
個人的には、したくない。
今現在の状況で、目の前の雄山噴火の危険度と、なにやら一般人には見えない高いところで蠢いている、社会的な綱引きや、政治的なやりとりからくる、人為的な危険度とを、秤に掛けると、私の中では後者の方が、不気味で恐ろしい。
自然の為すことに邪心はないけれど、人間がやることは汚いことばっかりだ。
ぶっちゃけた話、私は、自然に殺されるなら納得がいくが、どこの誰だか知らない、三宅のことなど何も知らない人間の思惑に利用されるのはまっぴらごめんなのだ。

ただ、こんなことを言えるのは、私が身軽だから。
真剣に島から避難したい人、避難しなくてはならない人や家族が大勢であるのも事実。噴火が恐ろしくて恐ろしくて、毎日泣いている人もいる。
どうしたらいいのだろうかと思う。
個人の事情はそれぞれ大きく違う。もうちょっと括りを大きくして世帯ごとで見ても、大きく違う。どうして、個人の物理的、精神的な状況違いが認められないのだろう。4000人なんて人数は、島の外側の人間から見たら個を認めるほどの人数ではないのだろうか。
4000人には、4000通りの生活と事情があるはずなのに。
1つの小さな島の噴火でも、その噴火で、天国を味わう人間もいれば、地獄につき落とされる人間もいる。
どうして、みんな一緒に1つの選択肢しか選べない状況に追い込まれているのだろう。事情が許さずに一時避難をしたい人達に、どうしてその受け皿がないのだろう。

私は、この先、少ないけど、できるだけお客さんを受けて、ダイビングのお客が帰ってくるまで、仕事で利用できる民宿としてがんばっていく。ダイビング客へとは違うサービスは、何が喜ばれるのかを一生懸命考えよう。

東京の友人達は、こっちに逃げてこいと言う。
でも、私には、もう、噴火を気にしたり、三宅を離れてまで逃げたりする理由がない。
東京で、やることも居場所もないまま、ただ生きているだけ、は嫌だ。
ここには、少ないけれど自分の仕事がある。自分の生活がある。
なにより、自分の生き方がある。
家族を抱える人達には、いろいろな選択肢があってしかるべきだけれど、私には、多くの選択肢は必要なくなった。全島避難がないのだから、島で生活していく準備に専念しよう。
   
   

(野田理恵)

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