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昼頃に、坪田側の交通止めが解除になったという放送が入った。
ものすごい勢いだ。降り込められても降り込められても、何が何でも道は通すぞ、という意気込みを感じる。
午前中に伊豆の方に行ってきた主人が言うには、通行止め地点までもがかなりな様子で、通行止めになっている区間に至っては相当なことになっているのではないか、ということだ。
それならば、と、坪田を通って、阿古側の通行止め地点まで行ってみようということになった。
途中、三七山の直線道路の両脇は、相変わらずすごいことになっている。
それにしても、どうせまた雨で火山灰が流れてくるのだから、歩道なんかぞうきんがけをしたようにまで、きれいにすることはないんではないかと思う。
三池のあたりに来ると、なんか臭い。浄化槽や下水に灰が入り込んでいるのだろうか。
坪田側は、火山灰はそれほど降っていないけど、小石がいっぱい。
空港の前あたりはまるでアスファルト舗装ではない砂利道のよう。
空港の駐車場などに止まっている車は、リアガラスがほとんど割れてる。
軽は全滅。車が海側、山側どっちを向いていても、フロントガラスが割れている車はない。後ろのガラスって弱いのかな。
何台か、知り合いの車を見つける。
ガラスが割れ落ちて大穴があいてしまった車は、どうしようもない。
島の南から西に入ると、小石はなくなって、大量の片栗粉のような火山灰。
前に車がいると、巻き上げる灰で何も見えない。ライトは役に立たない。
直前の壁を照らすような状態になる。
対向車が来ても大変なことになる。できれば来ないでくれと思う。
まあ、相手も同じ事を思っているだろう、なんといっても、車高の倍くらいの高さに灰が巻き上がる。
見た目は、パリダカの砂漠の行軍のよう。
しかし、前を行く車も、対向車も、姿が見えたときはぶつかる寸前ぐらいに接近しているので、ヒヤヒヤものだ。
よく考えてみると、仕事やのっぴきならない事情がないのに、こんな所に来てしまって、申し訳ない。
阿古の中に入って、土屋食品が開店しているのを見て、ホッとした。
そのまま通行止め地点の鉄砲場まで進む。
鉄砲場付近まで来ると、車の腹がこすれるぐらい積もっていた。
岡堀の入り口のあたりを、ユンボが慌ただしく行ったり来たりして、除灰作業をしていた。が、それは、まるで、アスファルトの道路を、発掘しているかのようだ。
かきだしても、かきだしても、灰は撒き上がるだけのように見える。
いたたまれなくなって、すぐにUターンした。
阿古の家々は、辛くて見ることができなかった。
自分の家には灰が降らなかった、それが、ひどく辛く苦しかった。
道路の前だけを見つめた。いくら自分の家でも、こうなってしまったら、自分でなんとかするのは無理だ。ましてや、自由が利かない家はどうなる?
灰下ろしが思うようにできないのは、年寄りの家ばかりではない。
役場や郵便局に家族の男手が取られている家だって、たくさんある。
土屋食品にそっとよってみる。
中にはいると、話題は灰のことばかりだが、いつも通り、元気な会話があって、鶏の唐揚げも売っていた。唐揚げとお茶を買ってそそくさと店を出る。
「そっちはどう?」と聞かれた。申し訳なくて消えたい気持ちだった。
みんな元気でよかった、店がやっていてよかった。
ごめんなさい、それだけ確かめたかった。
こんな時、透明人間になりたい。
帰り、空港の駐車場による。
知り合いの、買ったばかりのワンボックス。しゃれた車で、屋根にガラス張りの部分がある。サンルーフっていうのかな。
この洒落っ気が、仇になってしまった。リアウインドウは無事だったのに、屋根のガラスが割れている。このまま、今夜にでも灰混じりの雨でも降ったら、まずい。自分の車に乗っているもので、応急処置をする。
土嚢袋と、ガムテープ。取りあえず被害を広げないために、見た目は最悪だけど、仮止め。まるで、昔の漫画の、ガキ大将の頭に貼ったばんそうこうのよう。
東京から帰ってきたら、がっかりするだろうな・・・。
家に帰ってきて、家の周りにも少しは灰があるけれど、それを、どうこうする気持ちには、なれなかった。
水を使えば、どろどろになる。玄関のたたきにはベニヤを敷いて、サンダルは玄関の外で脱ぐようにしても、灰は部屋に入ってくる。
サンダルの底にこびり付く灰も、外で水を使って流せるけれど、そんなことしても、無駄。だんだん灰に慣れてきてしまっている。
車をいちいち洗う気にもなれなかった。
今度、あんなに灰が降ったら、自分で除灰をするのは、無理だ。
自分というより、もう、この島の人の力が残っていない。
自分の力でできない人は業者に頼んでいる。灰下ろしを頼むお金だってつきる。
観光関係の家では、収入が、そもそもないのだから。
がんばってもがんばっても、きれいにした頃また灰が降る。
がんばってもがんばっても、客は来ない。夏はもう終わる。
もうダメかもしれない、がんばれないかもしれない、そんな光景がよぎって、あわてて首を振る。
みんな、明るく振る舞っているけれど、疲れてきている。
認めたくないけれど、本当はそうだ。お互い、相手の疲れた顔を見ないようにしている。誰かが弱音を吐いてしまったら、どんどん崩れてしまいそう。
中野先生のことがあって、私の表情が暗いのだろう。
みんな心配して声をかけてくれる。みんなこの噴火のせいだと思っている。
私は、中野先生が亡くなったことを、言うことができない。
人によっては知っているけれど、何も知らず、また先生が戻ってくると思っている人には、追い打ちをかけるようなことになる気がした。
島外から、誰も助けに来てくれない。
最初の噴火が、人騒がせに終わってしまったから?
誰かが、止めているの?
テレビではロシアの原潜の話題がしきり。
国の都合によって見捨てられた潜水艦と乗組員。
潜水艦が三宅島に、乗組員が島民に、そっくりそのまま置き換えられそう。
冷たい海中の閉ざされた入れ物の中の死は、ヒトは、体がバラバラになって、骨は沈み、肉は小さな綿の花のようになって浮遊するという。
扉を開けたとき、それはマリンスノーのように水面に一斉に浮かんでいく、という話を聞いたことがある。骨は人のために残されて、でも、その他は理不尽な死に方故に、一刻も早く自然界に還るのだという。
ずいぶん美化した話だ。
その前の水攻めが、せめて、一瞬のものであって欲しい。
肺に大さじ1杯の水が入れば、即死できるという。
水が迫る恐怖がなかったことを願って止まない。
この島ごと、見捨てられてしまった私達は、力果てるまで灰下ろしを続けるのだろうか。除灰の知識も道具もなく。
足元から、だんだん嵩を増す水のように、日々の疲れは、しわじわと迫る。
いつまでも灰下ろしを業者に頼めるほど、裕福な家は、そんなに多くはない。
観光客が途絶えた今、経済的に余裕があるのは、限られた世帯だ。
それでも困窮すれば金を出すという、狙いなのだろうか。
私達は、灰に埋もれても化石には、なれそうにもない。
自然は私達の屍を受け入れてくれないだろう。これ以上は人災だから。
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