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三宅島・雄山の噴火で火砕流の被害にあった神着地区にあるペンション、SNAPPERSを (スナッパース)ご主人と経営されている、みゃること野田理恵(のだ りえ)さん。 ペンションが火砕流に直撃されるという予期せぬ災害にあって、その状況を冷静に インターネットで発信し続けたみゃるさんに、雄山での出来事を綴っていただきます。
   

22 訃報

  その日は、前の晩から、熱っぽくて、体が異様に重く、布団から出ることさえようやく、という感じだった。

朝、あまりの怠さにウトウトすることもままならなくなり、起き出してはみたものの、結局怠くて畳に転がっていたところに電話が来た。
電話に出るのも、ためらうほどだったけれど、「こんな時間に電話って、何?」と感じたので。

電話は、以前アルバイトで使ってもらっていた、診療所の看護婦さんだった人からだった。
「先生が、昨日、亡くなった。」と。
先生は、ちょうど1年前の8月、体調不良で、その4ヶ月前に再開したばかりの診療所を、閉めた。その後、東京で暮らしはじめ、通院している、という話を聞いていた。「入院ではなく、通院ができるのなら、悪くはないのだろう。」と思っていた。

 「亡くなった」という言葉が、心に入ってこない。
意味は知っているけれど、わからない、というような。
今夜が通夜になる。診療所にいた仲間で、身軽に動けるのは私だけ。
他の人は、小さい子供がいたり、仕事を持っている。
詳しい話を知っている人に、今一度確認して、上京することにする。
実感がわかない。「しなければいけないこと」を、頭の中の全然違うところで思い浮かべる。私の中で「感じる部分」と「考える部分」はすごく離れていることに気がついた。上っ滑りに項目だけが浮かぶ。

電話を切るとすぐに、もう1人の看護婦さんの方から電話が来た。
彼女は、今日の仕事を早退して上京するという。
私は午後便で、と思っていたものの、おそらく、飛行機は飛ばないだろう、彼女は船で上京するという。
できれば一緒に行きたいのだが・・・。とにかく、私自身、船に間に合う時間までに、上京の準備をする自信がなかった。電話をしている最中でさえも、座っていることが辛くて、子機に切り替え床に寝そべる始末。
取りあえず、包むものと、電報、お花をなんとかしなくては。
島の中には、お花なんてないけれど、最近はネットでお花を選ぶことができる。
東京にいる人にお花を送るのであれば、これが一番便利だ。

お花を選ぶときになって、愕然とする。
『弔意のお花』の項目をクリックしなければならないから。
『悲しみのお花』の中から、選ばなければならなかったから。
花の写真を見ると、先生が好きな花は何だったろうかと真剣に見入ってしまうけれど、ふと、その花がどんな意味を持って、どんな風に使われるのかを、考えたとき、軽いパニックになる。

どんなに先生が好きな花を選んでも、先生が、香りを楽しみ、花に触れて愛でることはないということ。先生が喜びそうな、かわいらしく清楚な花束、でも、これは、瞼を閉じた先生の傍らに飾るもの。
それ以上、もう、何もわからなかった。
何も思い浮かべることができなくなった。

結局、お花も、弔問電報も、どう選んだのか、わからなかった。
いつかこうなるかもしれないと、思ったことはあった。
それなのに、今、何もわからないのは、私の具合が悪いせいなのか。

上京する彼女が家に来て、包みと、私が手配したことを確認して出発した。
私は、布団の中にいた。目が覚めたときは、15時を過ぎていた。
それでも、起きあがれずに、また眠ってしまった。
午後の飛行機に乗るという根性もなかった。

うつらうつらしたまま夜になって、「なんだ先生、元気だったよ。」と言って、彼女から電話がきた夢を見た。あまりにリアルだったので、夢でないような気がして、時計を見た。2時半。こんな時間に電話が来るわけがない。
でも、念のため、親機のある1回の事務所まで見に行った。
留守電のランプは点滅していなかった。

今思えば、上京するのが怖かった。どうしてもイヤだったのかもしれない。
そうでなければ、なぜ、あの日だけ、あんなに具合が悪かったのか。
なぜ、あれほど世話になって、かわいがってくれた人の所へ、最後のお別れに行けなかったのだろう。

いや、あの時は、最後のお別れ、なんて思わなかった。
亡くなった、という意味が、わからなかった。

だって、先生は、島を離れるとき、「ま、調子を見ながら、また来ますよ。」と言った。
診療所も、先生の家も、せんべい屋さんや、みんなが、灰下ろしをして、いつ見てもびっくりしないようにしているんだよ。

先生は、病んだ自分の姿を見せるのを、とても嫌がったから、私は、先生から会いに来てくれるのを待っていた。お見舞いにも行けなかった。
一番後から入ってきたくせに、態度がでかくて偉そうだった私。
そんな私だったから、先生が会ってくれるまで、待たなきゃいけないな、と、思った。
先生の具合が悪いことを知って、はじめて、自分の態度が、先生を疲れさせていたのではないかと、気がついた。
だから、それまでの態度を反省して待っていた。合わせる顔がなかった。

「また来ますよ。」と、言って、笑っていたじゃないか。
 

(野田理恵)

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