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「80年型フーリガン」。
80年代のフーリガン対策は、「保守党サッチャー」対「労働党フーリガン」(*注1)の構図が垣間見られた。
当時サッチャーが取ったフーリガン対策は、「テラス(ゴール裏の立見席)」がフーリガンの寝床であるという認識から、ゴール裏を鉄柵で囲み、フーリガンを檻の中に閉じ込めるという、いわゆる施設面での強化を推進するものであった。高いフェンス、柵などを設けるという威圧的、施設的な対策であり、スタジアムの環境整備、情報面での連携など、セキュリティ対策は行われなかった。(とはいえども、この時期、自分はすべてのホームゲームを一人でゴール裏に陣取り見ていたが、正直恐れを感じたことは一度もなかった。アジア人の子供が一人で観にきているのがよほど珍しかったのだろうが、結構みんなにやさしくしてもらえたというイメージしかない。それは、パブにさえ近づかなければ特にトラブルに巻き込まれることはない、という程度の認識によるところも大きかったのだが・・・。)
そして、アルコールが多くのトラブルの原因であるという認識から、電車やバスへのアルコールの持ち込み禁止、また観客席への花火やビン、金属類の持ち込み禁止という対策が取られた。
このサッチャーのフーリガン対策が1989年に大惨事を生んだ原因となるとは、その当時誰も予想しなかったのである。
80年代にはイングランドだけでなく、オランダ、フランス、イタリアなどヨーロッパ各地でフーリガンは発生し、社会問題化し始めた。
そんな中、フーリガン=イングランドサポーターのイメージが世界的に定着してしまったのが、85年のヨーロピアンカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝戦での出来事であった。
80年代前半(80年〜85年)、イングランドはクラブチームレベルでは他の追随を許さないほど、ヨーロッパでその強さを誇っていた。三大カップでは、ヨーロピアンカップを制覇すること4回(80,81,82,84)、カップウィナーズカップ2回、UEFAカップ1回。それに伴い、イングランドサポーターが海外に進出する機会も増え、当然のことながら、海外でのトラブルの回数も増えてきた。
サッカー界に永遠と語り継がれる悲劇は、そんな中で起こったのである。
1985年ヨーロピアンカップ決勝戦。
舞台は、ベルギーのブリュッセルにあるヘーゼルスタジアムであった。
決勝に勝ち進んだのは、前年の覇者でラッシュ、、ダルグリッシュ、スーネスなどを擁し、当時世界最強の呼び声が高かったリバプール(イングランド)と、プラテニィ、ロッシ、ボニエクなどタレント揃いのユベントス(イタリア)であった。ヨーロッパ最強を決定するのに、これ以上ない組み合わせでもあり、ヨーロッパ中の注目を浴びていた試合でもあった。
事件は、その最高の舞台で起こってしまったのである。(Vol.4へつづく 近日更新)
(*注1)
1979年に誕生したサッチャー保守党(与党)政権は発足当初から、労働党(野党)の政治基盤である労働組合に対して断固たる態度で臨む、と宣言していたことからフーリガン対策にも乗り出していた。 |
(大山 隆太)
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大山 隆太(おおやまりゅうた)
2002年韓日ワールドカップ決勝戦が開催された街、横浜に在住。幼少期をロンドンで過ごし、イングランドフットボール(トッテナム・ホットスパー)のサポーターとなる。現在もシーズンチケットを保有し、シーズンに3、4回は渡英し、現地で試合を観戦する熱狂的フットボールファン。Football is my lifeを地でいく、フーリガンと紙一重の筆者が、サッカーコラムを執筆する。 |
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