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洞爺湖温泉にて

02.02.26  この記事をGoogle Bookmarksに登録する この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をイザ!ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事をdel.icio.usに登録する この記事を含むはてなブックマーク


 どこかの刑事ドラマにありましたよね、主人公に「事件は現場で起こっているんだ!」と叫ばせるシーンが。災害もまったく同じです。災害救援に携わる者の端くれとして、可能な限り現場を歩くことを心がけています。現場には、TVや新聞、ネット上の情報ではわからない、現場特有の「におい」「雰囲気」があり、それらが災害救援を考えるのに必要な「勘」を養ってくれます。ということで今回のコラムは、つい先日、北海道の有珠山周辺を見てきましたので、その時の話から。

 2000年3月31日、洞爺湖南岸にある有珠山が23年ぶりに噴火しました。人的被害こそなかったものの、一時は約13,000人が避難生活を余儀なくされ、虻田町と壮瞥町にまたがる洞爺湖温泉街も全面閉鎖、JR室蘭本線、国道37号線、道央自動車道も不通となり、虻田町をはじめとする周辺地域に大きな被害をもたらしました。避難指示区域は徐々に解除され、同年7月、火山噴火予知連の「マグマの活動は終息に向かっている」との統一見解があり、物理現象としての災害(つまり噴火)は終わりを迎えました。
 しかし、一部の建物は火口近くの危険区域内にあるため再び住むことはできず、そしてこの不況と観光業低迷の中、観光客を呼び戻すという長い道のりも始まったばかりです。この意味では、災害からの復興は未だ途上にあって、災害は終わっていません。

 警備の方の許可を得て、2つある火口群のうち、有珠山の北側、洞爺湖温泉街のすぐ後ろにある金毘羅山火口群近くの立ち入り禁止区域に入りました。ここには、団地やタクシーの営業所、共同浴場や図書館が、多くは手つかずのまま残されています。これらの建物の幾つかを噴火遺構として残す計画が進んでいるとのことでした。

 今回の現地調査では、他の多くの観光客と同じく、現地の大手ホテルに泊まり夕朝食はバイキングという、宿泊パッケージを利用しました。有珠山噴火災害からの復興は、一にも二にも、洞爺湖温泉街がどれだけ多くの観光客を呼び戻すことができるかにかかっていることは言うまでもないでしょう。日本には何千という温泉があり、しかも、熱海や別府といった古くからの温泉街で、老舗と呼ばれるホテルが廃業するご時勢。他の温泉街とどうやって差別化するかが問われていることは、温泉や観光業については門外漢の私にも容易に想像のつく話です。

 何でも防災に結びつけてしまうのは悪い癖なのでしょうが、それでも私は、有珠の地から、防災、特に防災教育につながる何かを発信できるようにならないだろうか、ということを考えてしまいます。何せ、生きた教材が目の前にあるのですから、これを活かさない手はないでしょう、と。

 もう1つの火口群である、有珠山の西側、洞爺湖温泉と虻田本町とを結ぶ(旧)国道230号線沿いにある西山火口群には、冬の間は閉鎖されていますが、火口のすぐ近くまで木道が整備され、火山観光の目玉になっています。西山火口群のすぐ近くにあったため、新築間もなく避難を余儀なくされた西胆振消防組合の本部庁舎(跡)についても、記念館としての活用が検討されているとか。金毘羅山火口群についても、噴火遺構の保存と並んで、火口観察路を作ることも検討中とのことです。

 防災教育を考える上で、これらの生きた「ハード」の教材は、幾つかはすでに用意されており、今後はより充実していくでしょう。では、「ソフト」の教材はどうでしょうか。

 避難所生活や仮設住宅での暮らしについて経験者の話を聞くことも大切でしょう。ボランティアの良い面のみならず、地元に迷惑をかけた面について知ることも重要だと思います。これらの「人から学ぶ」ことが、防災教育の1つの柱であることは間違いないでしょう。と同時に私がこだわりたいのは、防災を考える最初のステップである「外力を知る」ということに絡めて、何かができないだろうか、ということです。自然の力を知ること、それも「こわい」「おそろしい」「ひどい」といったものだけでなく、自然の力に「ドキドキする」「わくわくさせられる」といった感覚を教えることができないだろうか、と思うのです。

 理学教育に携わる方の間で、この種の「ドキドキ」「わくわく」について、幾つかの具体的なメニューも開発されつつあるとか。そんなメニューが数多くあれば、洞爺湖温泉街は、他の何千という温泉とは一味違った持ち味を手にすることができるなぁ、そんなことを感じた現地調査でした。

※この項について、時事通信神戸総局の中川和之さんとの話に、触発されるところが多くありました。記して感謝申し上げます。

2002.2.26
※この記事は、2000~2004年頃の「rescuenow.net」に掲載されたものを再掲載したものであり、筆者の所属や登場する団体名等は、このコラムの執筆当時のものです。

小村 隆史(こむらたかし) 富士常葉大学環境防災学部防災社会科学分野 准教授
1963年千葉市生まれ。国際基督教大学教養学部卒。同大学院行政学研究科修士課程修了。防衛庁(当時)防衛研究所助手・主任研究官を経て、日本初かつ唯一の防災学部である富士常葉(とこは)大学環境防災学部の開学メンバー。教育・研究に加え、地域・社会・国際貢献を含めた3本柱が防災研究者とあるべき姿と思い定め、地域防災、国際防災協力、災害医療など、防災・危機管理に広く携わる。「トラメガ持ってボラセンを仕切った経験を持ち」「トヨタ自動車の防災・危機管理アドバイザー格」「内閣府・内閣官房などの委員も務める」が、論文は書かない(正しくは「書けない」)という、明らかに「規格外」の大学教員。災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game、ディグ)の考案者としても知られている。

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