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最初のハードル
このたび、レスキュー・ナウのホームページに「防災研究者の与太噺」と題して、コラムを連載することになりました、富士常葉(とこは)大学環境防災学部の小村隆史です。防災の世界に首を突っ込んで12年余、見様見真似でやってきたはずなのに、気づいたら大学で教鞭をとる身になっていました。とはいえ、私自身も防災学もまだまだ発展途上です。皆さんとのキャッチボールの中からいろいろと学ばせていただければと思っています。
さて、記念すべき第1回のテーマは「最初のハードル」です。災害救援に携わる者すべての前に立ちふさがる「最初のハードル」とは一体何か? そのことから、与太噺を始めさせて下さい。
1月17日、私たち災害救援に携わる者にとって忘れることのできない日付です。1995年のこの日、阪神・淡路大震災が発生しました。平成の時代の災害救援は、この震災を原点にしていると言ってよいでしょう。(ちなみに、我が国の防災の基本を規定している「災害対策基本法」は、1959年9月の伊勢湾台風を直接的な契機として整備されたものです。)
多くの人が災害救援に携わりました。災害救援の出発点は、被災地域内での被災者同士の助け合いです。家族内の助け合いにはじまり、隣近所の助け合いや、様々な縁でつながった者同士の助け合いが、至る所で見られました。「何かあった時に一番役に立つのは、普段からの顔の見える関係である」と言われる所以です。行政や災害救援のプロの活動も、時間の経過と共に本格化してきます。自らも被災者でありながら、被災者の罵声にひたすら耐えて仕事を続けた行政人もいました。消防・警察・自衛隊は、「実働3省庁」と呼ばれる災害救援のプロ集団ですが、「もっと助けられたはずだったのに......」と自らを責め、心を病んでしまった人もいました。そしてボランティアもいました。被災地域内外から集まったボランティアの活動は、ボランティアは災害救援における欠くことの出来ない一大勢力であることを、実績として示しました。
もっとも、美談ありスキャンダルありが世の常です。被災地も同じで、現場を放棄して「トンヅラこいた」プロがいたり、マスコミ的には神戸を代表するボランティアの実態が「刑法犯」だったり、逆に世間から糾弾されているある集団が地道な活動をしていたり......。様々な人間模様がありました。
「困っている人を助けたい」「私は、そういう人になりたいのです」と、誰かが言います。「その気持ちさえあれば、他には何もいらないのです。」と、別の誰かが言います。
どこかの集まりで聞いたような会話です。おとなしく「うんうん、そうですねぇ」と相づち打てばよいのでしょうが、与太噺で生きている防災研究者は「大ウソこくな」と、つい言ってしまいます。気持ちだけではどうにもならないことがあるのが世の中なのに、と。実際、災害救援に携わるためには様々なハードルがあります。ハードルの種類や高さは様々あるでしょうが、一般に、お金と時間、そして心の余裕がないと、人助けなどなかなか出来るものではありません。被災地に行っても被災者に迷惑をかけまくり、挙句の果てに「人の心配をする前に、自分の心配をしろ!」と一喝されるのが関の山ではないでしょうか。
しかし、お金や時間、心の余裕をどうこう言う前に、このハードルを乗り越えない限り災害救援に携わることは出来ない「最初のハードル」があります。そしてこのハードルは、二番目以降のハードルと異なり、災害救援に携わるすべての人に共通するハードルなのです。実際、阪神・淡路大震災で災害救援に携わったすべての人は、この「最初のハードル」を乗り越えることができた人でした。それは「生き残る」ということです。
「何を大げさに......」と思われることでしょう。しかし相手は災害です。自分の対応力を超えてはじめて災害です。自分自身がケガをする、あるいは死ぬ、家族や親しい者がケガをしたり死んだりする、そういったことも十分起こり得るのです。そして阪神・淡路大震災は、自分自身が大きなケガもなく生き残り、一緒にいる者や家族、親しい者の無事が確認できて初めて、他の誰かを助けることに目が向く、この条件が整わない限り他の誰かを助けることはできない、このことを(改めて)教えてくれているのです。
何かあった時には助けられる側よりも助ける側でありたい、そう思っている人は数多くいることと思います。そのために、防災ボランティア・コーディネーターの研修を受けた人もいるでしょうし、自主防災組織のメンバーもいることでしょう。無論、それらを介して災害救援のノウハウを学び、仲間を見つけることは大切なことです。しかし、生き残らない限り、人助けどころではないのです。
我が身に襲いかかる不幸は考えない、あるいは、「我が身に不幸は起きない」という根拠のない信念を持っている、それが人間なのかもしれません。しかし、災害救援に本気で取り組もうとするならば、「最初のハードル」をどうやって乗り越えるのか、という課題を避けて通ることはできません。
残念ながら、唯一絶対の方法はありません。でも、万全とはいかないまでも相当程度は備える方法はあります。そのことについてはいずれまた。
※「最初のハードル」については、中央防災会議委員である重川希志依さんに想をいただきました。記して感謝いたします。
※この記事は、2000~2004年頃の「rescuenow.net」に掲載されたものを再掲載したものであり、筆者の所属や登場する団体名等は、このコラムの執筆当時のものです。
小村 隆史(こむらたかし) 富士常葉大学環境防災学部防災社会科学分野 准教授
1963年千葉市生まれ。国際基督教大学教養学部卒。同大学院行政学研究科修士課程修了。防衛庁(当時)防衛研究所助手・主任研究官を経て、日本初かつ唯一の防災学部である富士常葉(とこは)大学環境防災学部の開学メンバー。教育・研究に加え、地域・社会・国際貢献を含めた3本柱が防災研究者とあるべき姿と思い定め、地域防災、国際防災協力、災害医療など、防災・危機管理に広く携わる。「トラメガ持ってボラセンを仕切った経験を持ち」「トヨタ自動車の防災・危機管理アドバイザー格」「内閣府・内閣官房などの委員も務める」が、論文は書かない(正しくは「書けない」)という、明らかに「規格外」の大学教員。災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game、ディグ)の考案者としても知られている。












