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田口@三宅島(2)
携帯電話というのは、この前東京さいったときに使ったけれども、これはこれで便利なのもである。寝台列車の中からでもメールが読み書きできる。パソコンの電池が異常にすばやく消費されるということを今回思い知った。
問題は、携帯電話の通話できる範囲を超えたときにはその機能がすべて停止して、単なる懐中時計になることである。
田口の携帯電話はこの懐中時計になっていたのであった。懐中時計だから、いくら送信しようとしたってつながるはずがないのである。
「10枚くらい写したら、走って聞こえるところまで行って、とにかく送信しろ!! そんで、再び取って返して撮影しろ。命を惜しむな!! 骨はみんなで拾ってやる」
もう、めちゃくちゃであった。
災害時には、その現場がどうなっているのか、百万言費やして文字で語るよりも、1枚の写真のほうがはるかに多くを伝える。だから、めちゃくちゃなことをいうのである。
それと、災害の初期に限っては、スピードが命である。細かい数字やそんなものはどうでもいい。大づかみで荒削りでもいい。現地の絵が欲しいのである。画像はうそをつかない。
送られてきた画像は、レスキューナウの大槻がきれいなHPにしたてた。次々と増えて行く現地の様子。
いい写真である。
マスコミの視点ではなくて、被災者の視線に非常に近い写真である。田口が走りまわって撮影したであろう写真を見て、冨田は感動した。
思えば、田口は市川とともに一番最初に噴火直後の伊達の巣窟に入った人間の一人であった。入ったその日から冨田に怒鳴られ、寝袋で眠り、ウスラバカぼらんてあに腹を立てた、いわば冨田の戦友である。頭の毛は確かに金色である。そんなことしてると絶対にハゲるぞといっても決して言うことを聞こうとしないのが腹立つけれども、見た目よりはるかに根性が座っているようだ。
何よりも、有珠山の経験で、被災者の視点が、自分の周り5メートル以内のもの以外は信じるなというのが、身についたようで冨田は本当に感動した。
田口は、災害情報の発信者としてこれまでになかった働きをした。レスキューナウは、まだ売上はないけれども、必ずちゃんとした立派な企業になるなあと、冨田はひそかに確信しているんだ。レスキューナウという会社は有珠山噴火とともにある会社だ。
市川、田口、大槻、今度はいる松本(だっけ? 違ったら直しとけ)(編集部注:松島です)。30年後、また有珠山が噴火する。そのとき冨田は70だから、今回みたいなことはできないと思う。しかし、せがれがそれをやるから、そのときはまた一緒にぬるいビールでも飲もうや。
おまーらは、冨田の誇りです!
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2000年3月31日、有珠山が噴火しました。有珠山噴火災害に関して、過去のどの災害とも大きく異なっている点がありました。それは、本格的な「インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク」の誕生。「被災地からの、市民の、市民による、市民のための情報発信」というこれまでに無かった活動を、インターネットを通じて日本全国から集まった有志達が、陰ながら支えるという重要な役割を果たしています。そのため、今後の災害時の市民情報発信の在り方を考える上でも非常に重みのある活動となっているのです。これは、この「有珠山ネット














