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田口@三宅島(1)
原稿が遅れたのにはわけがある。
そんどころではなかったということと、三宅島がどうなるかが心配だったからである。
日ごろから、
「次のパンダが出るまで、おらたいちょーやる」
と、宣言していたから、おーー、意外に早くパンダ交代だなあと思った。まったく甘かった。
一度やった仕事というのは、2回目にはすさまじい早さでできるものだ。有珠山ネットの場合、正確には覚えてはいないが、現在の形に落ち着くまでに1週間程度はかかった。
それが、火山活動が活発化したという第一報が入ったその日のうち、正確には6時間後には、基本的なリンク集、MLを含めてすべてが機能していたのである。恐れ入った。
まあ、冨田はなんにもしないで、ただ、見ていただけなんだけれども。見ていただけというよりも、誰も相手にしてくれなかったといったほうがいい。
ただ、今回は現地にパンダは現れなかった。さまざまな要因はあろうが、己を捨てるバカヤローがいなかったということだろうなあ。
しかし、世の中には、必ずバカがいて、そいつらがやっぱり今回も極めてすばらしい仕事をしているのである。
そのバカとは、このウスラバカエッセイのスペースを与えて、しかも、原稿料まで払ってやろうというレスキューナウであった。
26日の深夜、竹芝桟橋を発ったレスキューナウの田口。それを見送る「ぬるビール」の市川。その目には、己の社員を戦地に送り出す涙が光っていたのを冨田は遠く北海道から見逃しはしなかった。
翌日、画像はまだかといらいらして待っていたが、こない。いつまで待ってもこない。
「こらー、田口―。てめえ写真はどうなってるんだ!!」
よその社員を捕まえてこの口の聞きようである。
「市川!! 田口から連絡が入ったら、つまらん取材なんかしてねーで、画像をとっとと送れと言っとけ!!」
よその会社の経営方針に口を出すのである。
なんでかというと、市川も、田口もこのコラムをきれいにレイアウトしている今回は居残り組の大槻も、有珠山ネットの噴火湾パソコンお助け隊の隊員であり、冨田はいわずと知れたお助け隊と有珠山ネットのたいちょーだからである!
これまで何度も書いてきて、皆さんはすでに十分ご理解くださっていると思うが、改めて書くと、有珠山ネットには、民主主義はない。理屈が何よりも嫌われる。正論を吐くとバカにされる。しゃべった分やってもらうからなという基本姿勢を貫いているのである。
だから、現地に隊員が入っているにもかかわらず、画像がこないというのは、これは、冨田的にいうと、そこに存在していないのと同じことなのだ。せっかくフェリー賃かけていってるのに何事か!!ということなんですね。まあ、フェリー賃を出したのは、冨田ではないけれど。
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2000年3月31日、有珠山が噴火しました。有珠山噴火災害に関して、過去のどの災害とも大きく異なっている点がありました。それは、本格的な「インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク」の誕生。「被災地からの、市民の、市民による、市民のための情報発信」というこれまでに無かった活動を、インターネットを通じて日本全国から集まった有志達が、陰ながら支えるという重要な役割を果たしています。そのため、今後の災害時の市民情報発信の在り方を考える上でも非常に重みのある活動となっているのです。これは、この「有珠山ネット














