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これからどうしようかな(1)

00.06.05  この記事をGoogle Bookmarksに登録する この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をイザ!ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事をdel.icio.usに登録する この記事を含むはてなブックマーク


 噴火後2ヶ月を経過して、つくづくと思うことがある。この先どうしようか...。

 どんな情報を今俺自身が必要としているのか。

 これまで俺は自分も被災者の一人としての視点を持ちつづけた。今後もそうでありたいし、恐らくは変わることはないだろうと思う。しかし、現実の冨田個人はすでにとうの昔に避難指示が解除された地域に住んで、仕事も昨年までと同様、ほぼ元に戻った。

 いまだに家に一歩も立ち入ることのできない人の前に立つと、身のすくむ思いがする。
 明らかに、帰れるものと帰れないもの、あるいは、帰るところがあるものと帰るべき家を失ったものとの格差がついてきている。冨田は、すでにかえって元通りの暮らしに戻った側である。
 いくら想像してみても、わずか2週間程度の、避難生活と、2ヶ月を超えて、まもなく3ヶ月を迎えようとする人たちとの温度差を埋められるはずはない。努力はしても、そこを埋めるのは、地元に住んでいても大変なことだ。

「避難してた2週間は長かったよなあ」
「うん。何年にも感じた。1日の長さが1週間にも思ったね」

 昼飯を食いながら女房と話した。

 伊達の町はすでに平静そのもの。普段といささかの変わりもない。ただ景気が悪くなった。不必要な自粛ムードは過ぎ去ったけれど、噴火前より売上はがた落ちだということだ。
 などと人事ではなくて、冨田の商売もかなりしんどいことになっているのだ。
 普通に生活していると、1週間などあっという間に過ぎて行く。おととい「大草原の小さな家」を見たように思うんだけれども、はっと気がつくと土曜日になっている。
 いったいあの避難生活の時の時間の長さは何だったのであろう。
 その異常事態の中に暮らす人がまだ2000人以上もいるのだ。

 復興はもう始まった。
 噴火はもう終わった。

 そう思って暮らしている人がたくさんいる。
 いつまでも噴火になんかかまっていられない。そういう人もいる。まったくそのとおりなんだ。また、そうであらねばならない。

2000年6月5日

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tomitan1.jpg2000年3月31日、有珠山が噴火しました。有珠山噴火災害に関して、過去のどの災害とも大きく異なっている点がありました。それは、本格的な「インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク」の誕生。「被災地からの、市民の、市民による、市民のための情報発信」というこれまでに無かった活動を、インターネットを通じて日本全国から集まった有志達が、陰ながら支えるという重要な役割を果たしています。そのため、今後の災害時の市民情報発信の在り方を考える上でも非常に重みのある活動となっているのです。これは、この「有珠山ネット

」の立ち上げに深く関わり、自ら「隊長」として代表を務める冨田きよむ氏によるコラムです。

※この記事は、2000~2004年頃の「rescuenow.net」に掲載されたものを再掲載したものであり、筆者の所属や登場する団体名等は、このコラムの執筆当時のものです。

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