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避難解除と報道(1)

00.06.01  この記事をGoogle Bookmarksに登録する この記事をYahoo!ブックマークに登録する この記事を含むlivedoorクリップ この記事をイザ!ブックマークに登録する この記事をニフティクリップに登録する この記事をdel.icio.usに登録する この記事を含むはてなブックマーク


「C3地区が避難指示解除になります」
との放送がカルチャーセンターに流れた。
 次の瞬間、ロビーに張られた住宅地図の前は人だかりができた。

「どこからどこまでだって?」
「おら、地図なんか読めねえ」
「わっちのうちはどこ?」

 偶然そこに居合わせた冨田は、赤い境界線が引かれた地図を指差して、

「ここが37号線だ。ここが線路だ。ここが終末処理場だ」
「したらここが、中島さんか?」
「そうだ」
「かえれる・・・」

 2ヶ月ぶりの、満面の笑みであった。

「いかったなあ」
「長かったもな」
「あしたかえれるのか?」
「そうだ」
「今晩寝れねえべなあ」

 避難以来この日をどれほど待ちわびたことか。  

 つくづく思うことであるが、研究者というのは、本当に厳しい仕事である。すべての研究者がどうかは知らないけれど、今回の有珠山噴火に関して言えば、岡田先生と、宇井先生の肝の据わった活動には心底恐れ入っているというのが偽らざる気持ちである。帰れるか帰れないか、決定権は学者にあると思われているのだから。

 防災に寄与しない研究には意味がない。

言う易し行う難し・・・。

 これまで事あるごとに、噴火以前から岡田先生は、
「住民と行政と研究者と、そしてマスコミが一体となって災害による人的被害を未然に防がなくてはいけない。このためには、マスコミは正確な情報を十分に、早く提供していただきたい」
と、繰り返し語っておられた。
 噴火後連日開かれた記者レクチャー。1時間、時には2時間にも及ぶ。分厚い資料もそのたびごとに用意され、それぞれの専門の立場から懇切丁寧な説明が加えられている。
 しかし、それが報道に反映されたとはいえない。残念だが、時には2時間に及ぶレクチャーの内容そのものが避難所に届いたことはただの一度もありはしなかった。
 もちろんマスコミにも言い分はあろう。放送時間枠の問題。新聞紙面の制約など、現実的に超えなくてはならない壁はいつも大きい。

 けれども、本当にそうか?

2000年6月1日

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tomitan1.jpg2000年3月31日、有珠山が噴火しました。有珠山噴火災害に関して、過去のどの災害とも大きく異なっている点がありました。それは、本格的な「インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク」の誕生。「被災地からの、市民の、市民による、市民のための情報発信」というこれまでに無かった活動を、インターネットを通じて日本全国から集まった有志達が、陰ながら支えるという重要な役割を果たしています。そのため、今後の災害時の市民情報発信の在り方を考える上でも非常に重みのある活動となっているのです。これは、この「有珠山ネット

」の立ち上げに深く関わり、自ら「隊長」として代表を務める冨田きよむ氏によるコラムです。

※この記事は、2000~2004年頃の「rescuenow.net」に掲載されたものを再掲載したものであり、筆者の所属や登場する団体名等は、このコラムの執筆当時のものです。

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